山本勘助の城づくり
●1554年 (城)小諸城の原型ができる
武田信玄は、家臣(かしん)の山本勘助(やまもとかんすけ)らに、より守りの固い城を築く(きずく)よう命じたのじゃ。そこで、鍋蓋城(なべふたじょう)、乙女城(おとめじょう)が入口の守りを固め、後ろは千曲川のガケ、両側は自然の谷に守られる小諸城の原型ができあがったのじゃ。そしてこの城は、武田氏が佐久地方は戦支配(しはい)するための基地(きち)になったのじゃ。